対人関係が苦手な僕

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対人関係が苦手な僕


嫌いな人間とだけ距離を置く。決して触れない。。。

退職して間もなく、いろんな部署からの食事のお誘いを頂いた。部署とは言っても、人数がそもそも少ないので、数人で、という形だが。

「会社の定型的なお別れ会」以外でこんなにも、もてなしを受けるのは初めてだったので、どうしたらよいか分からず、その時は結局ありがとうもろくに伝える事が出来なかった。

その会社での勤務期間は、4年ほどではあるが、正直そこまで対人関係を良くしようと意識したことはなく、むしろ嫌気ばかり感じていた。

もともと僕は人と関わるのがあまり好きではない。ただし一部の少数に限りは、長い付き合いをさせていただいている。が、それも気分次第で無視するぐらいの自分勝手な人間である。

しかしその人たちは自分の存在をこころよく認識していて、こんな無愛想な人間にも優しく接してくれる。

そもそも対人関係は苦手得意などではなく、気づくと勝手に作られている場合が多い。

僕は、最初こそこの自分の性格を悲観していたが、今では完全に割り切って、この性格に合わない人間は『接しない』ようにしている。つまり究極の自分勝手である(笑

それでも僕に合わせてくれている人間には、本当に感謝している。自分にとって『良い対人関係』とはそういうものだと思っている。

僕の問題はどうやってその感謝の気持ちを伝えればよいかであるが、とりあえず会うたびに『ありがとう』の言葉を伝えるようにしている。

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天使と悪魔

話は変わるが、よくメディアなどで、人里離れて暮らしたいなどの話を聞いたことがあると思う。僕は、それは確実に一時的なものだと思っている(ただし全ての人には当てはまらないが)。要は対人関係が嫌なのではなく『自分の距離感』で人と接したいのではないのだろうかと?

今はSNSや2chなど、嫌でも人との関わりができてしまう世の中だ。そのツールを使ってのみ人とのコミュニケーションをとるのであれば、それがその人にとっての『自分の距離感』なのではないだろうか?そして同じ距離感や価値観を持つ人との関係こそが、その人の今の『良い対人関係』なのだと思う。

さらに言えば、『自分の距離感』自体に基準はなく、その距離感は常に周りの状況に応じて変化をし続けるのだと思う。

小学校では、誰とも話さない子供が、中学校ではクラスメイトの輪の中心にいる。

高校では人気があった少年が、大学ではひきこもりになってしまう。

周りの状況とは、言い方は悪いが、嫌いな上司や先輩、自分を否定的なクラスメイトなどが近くにいる場合。人によってはその影響で、対人関係自体を否定する。きっと『自分の距離感』ははるか遠くの方に修正されたと思ってしまう。

結局その『自分の距離感』自体を決めるのは自分自身だ。

知らず知らずのうちに自分の周囲の影響で、周りすべてに対しての『自分の距離感』を決めてしまうのである。

この対策はいたって簡単でシンプルだ。

嫌な人間とは徹底的に距離を置く。

これに尽きる。

考えてみてほしい。

よく考えてみてほしい。周りすべてが嫌なのではなく、嫌な人間は数字として数えられるはずだ。全てではない。人は驚くほど多様性に溢れている。全ての人間が仲良く暮らせるのであれば、戦争の歴史は大きく塗り替えられていただろう。

神話ですら天使と悪魔は対極化されているのに、ましてや一人の人間が全ての人間と仲良く手をとりあうなどありえない。

そして自分のために、嫌いな人間とだけ距離を置く。決して触れない。意地悪すらしない。これを考えるべきである。

これを悪だと思う人は、きっとその心こそが自分と人々の距離感を遠ざけている原因なのではないだろうか?

何度も言うが、人は驚くほど多様性に溢れている。その中で、嫌な人間が出てきてしまうのは当たり前の話である。

何も引きこもる必要もないし、山奥に逃げ込む必要(ただし全ての人には当てはまらない)もない。この世界は自分を中心に回っているのだ。同時に全ての人たちにとってもそれは同じである。

あなたが周りに合わせる必要は一切ない。好きにすればいい。

以降注意補足

※ただし、自分勝手は履き違えると大変なことになるという考えも持っていてほしい。

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